目標設定を通してもたらされる張り合いと究極の生涯学習

9月の〆日を経てあっという間に新しい月になった今。もう10月ということで一年も残り少ない月を数えた方が早い時期になりました。カレンダーを見ては、いま一度、時の経過の早さを知らされています。今年も残りあと2か月となった今、これまでの一年間を振り返ってみました。過ごしやすい秋だけに、いろいろ俯瞰するにはいい時期だと思います。

さて、何だかんだ充実させてきた日々。それも、すべては都度自分なりによりよく生きるため充実させるための目標を持ち、それに向かって情熱を注いで生きてきたからこそだと実感しています。べつに生きていく上で何ら目標など作らなくても誰に怒られるでもなく、義務でも法律違反でもないため罰せられたりはしません。普通に、生きていくこと自体はできるでしょう。

でも私の場合、それではどうにも物足りなくて仕方がないのです(笑)。もっと言えば、目標なくしてただ何となく惰性的に生きることに耐えられないというのでしょうか、それでは本当の意味で私を生きていることにならないと感じて仕方がありません。だからこその目標設定。

目標設定は生きる上で大事

毎年、日々、それがあることによって実現のために今目の前の課題や取り組みに邁進でき、同じ時間を過ごしても密度・質感が手ごたえあるものに変わり、結果充実していきます。何をとりあえずの目標にしたらいいか分からないという方々が、よく「目標を作ることが目標なんだ」なんて言うのも、充実を求めてこそでしょう。

とはいえ、目標を自分なりに設定したり、それに向かって精一杯やるだけやったからといってすべてが順風満帆の理想通り、これ万々歳~!というわけではありません。むしろ理想通りいかないことの方が自然とも言えそうです。しかしながら都度目標を掲げてはそのための実践を時間をかけて実践してきた身としては、その意味を常々感じてきました。

たとえ理想通りいかなくても、そこで「じゃあどうしよう」「こういうやり方もアリだよね」「次はこうやってみようか」などなど、何かと知恵を働かせて学ぼうとする私の姿がそこにあるわけです。究極的には自分にとって必要な学びを続けるためにこそ、目標設定の意味があるのかもしれません。ある意味究極の生涯学習とも言えそうです(笑)。

来年もまた、目標設定と邁進を通して”今、このとき”に集中しつつ、未来を見つめるまなざしを持ち続けたいと思います。目標に基づいた地道で小さな積み重ねの延長線上にあるものが、自分の未来であるかぎり。